不幸な子供
不幸な子供
子供の頃、百科事典と世界文学全集が置いてあった書庫兼納戸が、私と妹の遊び場所でした。大人向きの全集は子供には、いささか難しかったせいか、もっぱら児童文学全集や絵本を読むのが日課でしたが、薄暗い場所でアンデルセン童話やアラビアンナイトなどの健全な文学に読み飽きると、母がクリスマスに買ってくれた暗い挿絵のマザーグースの絵本を繰り返し読みたくなるのでした。絵本なので無邪気な内容かと思いきや、ちょっと残酷でぎょっとする文章があったりして、人間の怖さや恐れを教えてくれたような気がします。
そういう暗いところで、暗い本を読んで育ったせいか、いまだに暗い本が好き。
ついついそういう本をお店に置きたくなってしまいます。最近置いている一番暗い絵本は、エドワード・ゴーリー。
日本には二〇〇〇年に「ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで」で翻訳本が出て話題になりましたが、アメリカでは一九七〇年代からカルト的なファンが多い作家でもあります。銅版画のような線で描かれた、暗くて美しい挿絵と、道徳観や倫理観を押しやった残酷で 不条理な世界感が魅力的な作家です。
テレビで連日流されるアメフトのニュースを見ながら、ふと不条理について考えました。神のような存在から、不条理な問題を突き付けられたらどうするのか、そのまま受け入れるか、拒否するのか。学生に必要だったのは、性善な指示を出す指導者だったのか。
ゴーリーの絵本は、世の中は不条理なもので、そのためには自分の知恵と勇気が必要なんだと皮肉っているように感じます。
生きるために、考えるために、ときにそんな暗い本も必要なのではないでしょうか。
不幸な子供
トレードマークの微細な線画で、圧倒的な背景を描きこみ、一人の少女の不幸を悪趣味すれすれまでに描いた傑作。
(京都府建築士会 京都だより2018年7号掲載)