眺める禅
いちびり
先日外観撮影のとき久々に「いきって(かっこつける、いきがる、調子に乗る)」しまった。
ガレージにある施主の大型スクーターが撮影の構図に入ってしまい、画像処理でも消せなくないのだが、処理時間が掛かりそうなので施主の了解を得て前面道路まで移動することにした。普段バイクに触れることがほとんど無いので最初は丁寧に扱っていたが少し慣れてきて(ふと魔がさしてしまった)、ちょっと雑に動かしたい衝動に駆られた直後、ふらっとして壁にウインカーカバーを当ててしまった。あ!やっちゃった!スピード違反で警察に見つかったときと同じ気分だ。その後、施主には平謝りかつ修理代弁償という始末。
通常「いきる」場合は相手がいて、第三者に自分をアピールするとき(飲食代を相手にわからないようこっそり会計をすましたり、運転者が車を降りて助手席のドアを外から開けて、奥様どうぞ!とか)などに「いきる」ものだが、私の場合、「私は大型スクーターも自在に移動できるんだ」と自分自身「いきって」しまっていたのだ。
この自分に「いきる」行為は非常にポジティブに考えれば今の自分への挑戦である。自分の能力よりちょっと上くらいのことを、無意識にやってみたくなり、ついやってみて失敗する。人間の持つ潜在的な欲求の結果の失敗だと納得したい。
今月は今の私が必要としている本をご紹介。
「眺める禅」(枡野俊明 著)
禅僧で庭園デザイナーでもある枡野氏が設計した「禅の庭」の写真と、禅の考え方に基づいた、心にしみわたる言葉満載の一冊です。
ページをめくるたびに心が軽くなって行きます。