珈琲の表現
珈琲の表現
朝、事務所に出社してから珈琲を二杯飲むのが私の日課です。仕事を始めてから、ずっとこの習慣が抜け切らず、飲み過ぎて胃が痛くなろうとも、医者から控えたほうがいいと言われようとも、この二杯を飲まないと一日中が始まりません。最初は飲めたら良いと思っていた珈琲もここ数年は進化をとげています。珈琲に関しては男性のほうが熱中する傾向にあるようで、今まで夫が主導で事務所ではいくつかのコーヒーメーカーを試行錯誤しながら使ってきました。生豆から焙煎してくれるコーヒーメーカーや、クラシックなハンドドリップに戻ったり、ここ数年は、無印のコーヒーメーカーがなかなかの優れものだと判明して、事務所にきたお客様には高評価をいただいています。焙煎したても豆の入手先も落ち着き、やっと定番の方法が見つかったと思いきや、ここ最近何やらまた、珈琲の迷走の時期に突入したようで、ハンドドリップ式でフィルタを色々と変えてみたりと朝の実験が続いています。慌ただしい時間の中で、じっくり時間をかけて淹れる珈琲は少し贅沢な気がしますが、書店でたまたま仕入れていた「珈琲の表現」という本を手に取ってみると、冒頭にこんな言葉がありました。
「珈琲は、生きていく上でかならずしも必要なものというわけではありません。しかし、人間らしく、豊かに生きるためにはとても大切な嗜好品だと思います。」
人の感情に寄り添うように、手間暇をかけて丁寧に時間をかけて作業することで一杯の美味しい珈琲につながる。この本を読んでいて、珈琲は建築と似ているなと感じました。
(京都府建築士会 京都だより2022年1月号掲載)
珈琲の表現
いわゆる「珈琲の入門書」ではありません誰かが決めたレシピをなぞるだけでは、あまりに味気ない。一息つきたい時、ぱっと明るい気分の時など、その時々の感情に合わせた一杯、そして、大切な人に振る舞う一杯を、自在に表現するための「淹れ方」に特化した本です。